自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


うまくいかないようにできている?

この世に苦労をしに来ている、ということを意識しだしてから、

いろいろ納得できることが出てきた。

 

あれこれうまくいかないのはそのせいなのか、と。

苦労しにきているので、なんでもうまくいっては都合が悪いのであろう。

 

自分では簡単にできると思ったことでも、何故かうまくいかなかったりするのは

そのせいなのかもしれない。

簡単にできる気がするというのは前の世界でそうだったからなんだろう。

私のひどく面倒くさがりなところはその記憶がどこかに有るからに違いない。

いちいち手順を追うのが、もうほんとうに面倒くさい。

そして、我慢して手順を追ってやったつもりでも思い通りにいかず、イライラする。

頭の中では簡単に実現しているのに、

現実では水の中みたいに抵抗がすごくて、思うように動かないことばかりだ。

でも、その「うまくいかない」感じを体験しに来てるんだよなあ〜と。

1人SMか?まったく。

 

と思えば、あれ?っというくらいにうまくいくことがあったり。

これ、うまくいかないことばかりだといやになるから

何かご褒美的なものなのだろうか?

 

うまくいくと信じればうまくいく、とか、

成功法則みたいなもの、そういうのよく見るけど、

なんでもうまくいってたら苦労できないよね。

ここにきた意味ないからさあ。

て言っても苦労は嫌だけども。

 

そのうち肉体を脱いだら、また

思い通り、成功ばかりの

なんでもうまくいくところへ行けるんだろうから(多分)、

ここでは特に全部成功を目指さなくてもいっか〜と思う。

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ブッダを描いてみようと思い描いてみた。

頭の中では完璧なんだけど、なかなかうまくいかないなあ。*

 

 

 

 

 

 

確かにすごいけど

お世話になっている方の油絵の個展に行ってきた。

すごい方だ。

一年に100点も作品を仕上げるという。

しかも、すごいところに名を連ねている。

謙虚、かつエネルギッシュ。

素敵なおばさま、いやお姉様。

二十年前の私だったら、憧れていたに違いない素晴らしい方である。

がしかし、

今の私はそれはそれとして内心冷静に見ていたのであった。

昔のエネルギーがなくなったのか?

あまりにすごすぎて、ああ、参りました〜的なのか?

確かにそれもあるんだろうけれど、

最近、感じるそれぞれがそれぞれの役をやっているという見方をしてしまう。

おお、すごい役を担っているなあ〜と。

 

冷めてしまったのか!いや、醒めてしまったのかも!

ならいいけれど、わからない。

 

昔みたいな感じを感じない、

すごい絵を見てもふーん、と思ってしまう。

イヤなやつだな、自分!

感動したふりなんかして、もっとヤだな!

 

でもいいんだ。別に。もう。そういうものだから。

触発とか、そういうのもなんか。

熱い歌とか、そういうのもなんか、ふーん。って。

ああ、つまんないやつになりさがってしまったのか!自分てば!

 

アルボムッレ・スマナサーラ氏の

ブッダのユーモア活性術」

を読んだ。

 

受け入れて、フフ、みたいな。

そういうものか〜と。

短くし過ぎだけど、そんな感じなのか、と。

ちょっと安心したのだった。

 

 

 

闇系でなえているところへ

最近、闇の勢力の本やら何やらで、

げんなりしていた。

ああ、この世はめちゃくちゃ支配されているじゃないか〜

ワクチンで人口削減、ああ、ポリオ息子赤ちゃんのとき、

やっちゃったしな〜。

輸血もやばい、ああ、先月、町内会で寄附しちゃったじゃないか。

その本部へ。そういや、有無を言わさず寄附させられるよな。

なんとなく、

とか。

義父はがんの手術で輸血したっけかな、

その後の再発はそのせいだったのかな、とか。

 

もう、なんか、ぐったり。

どうしようもないじゃん。

支配されちゃってるよ。

 

となんか一人あきらめムードでいたら、

今日、ふとYoutubeを見ていて、

天才画家の少女(この方もすごいけど)にたどりつき、

その後インディゴチルドレンなどなど見ていたら、

ジェシカ?さんだったか、インディゴチルドレンだかの、

金髪のキレイなお姉さんの動画を見ていたら、

最後の方で、闇の勢力はクラスのいじめっ子みたいなもの、

こちら以上に怖がっているだけ、みたいなことをおっしゃっていて。

それも何か、良くなる上で必要なもの、それが、変化すると

貴重なものになるというようなメッセージがあり、

おお、まさしくタイムリーなメッセージ!と驚いた。

 

ほほー、そうか、げんなりしていることもないのね。と。

闇を光で照らしたような安堵感をおぼえた。

 

悟りをひらいて

どこか優越感を得たいと思っているんじゃないのか?

自分は悟りを開いてエライんだぞ!

ジャーン!

葵の御紋、的な。

 

と思ったらムネヤケがした。

 

人間て、どこかそんなところがあるような。

しょうがないのかな。

そういうもんなのか。遺伝子とかで。

だったとしても、ちょっと鼻白む。

 

でも、ぼんやりし続けているのもなんだか。

自動的に生きようとしているが、

やはり何かどこかで優越感を得たい自分を見つけて、げっ、となる。

 

人間だからね、やっぱり、完全には悟れないわけだから。

完全に悟れたら神だし。

人間はそれぞれ、いろんな方向からみている。

誰かも言っていたなあ。

同じものを見ているんだけど、

それぞれ方向が違うから

同じものをみているのに人によって全然違うものに見えるって。

 

だから、方向が違うだけで、

自分が見ている形が一番正しくて、偉くて、完全な見方なんだというのは違う。

それを人におしつけようとするのも違う。

誰かの見方を見下したり、うらやましがったりするのも違う。

ただ、自分の見方で見えているだけ。それだけ。

 

 

 

 

 

 

苦労をしにきてるの?

最近読んだ本に、この世には苦労をしたくて来ているというのがあった。

あの世はなんでも叶ってしまって、つまらないそうだ。

ほかにも、そんな記述をみたことがある。

 

なんだって、そんなことをしに!

と自分に腹が立ちそうだ。

 

いいじゃないか、なんでも叶った方が!

苦労してなにが面白い!?

 

はあ。

 

なんできちゃったんだよ。自分。

ああ、苦労したかったのか。。はあ。

 

だから苦労しとけ、と。

いうわけかああ。

つか、どの苦労したかった?

 

ダンナが口うるさいのをがまんする苦労をしに来ているのか?

ちっとも勉強するスイッチがはいらない子供にいらっとする苦労をしにきているのか?

PTAで自分に不利な活動をしなくていいように画策する主婦にきれそうになる苦労をしにきているのか?

家事?

 

じゃあさあ、なんで生きているとか考えるのも

本当に意味ないね。

だって苦労するために生きてるんだものね。

ああ、そんなのいやあああ〜〜

もう、本当いやになっちゃう。

吐きそう。

 

自分と対話したら何の苦労したいのか

わかるのかもしれない。

 

拭きの快感

昔は拭き掃除が嫌いだった。

拭いてもまた汚くなってしまうから。

無意味だと思っていた。

なるべく拭き掃除をしなくていいように工夫していたくらいだ。

 

今もそんなに特別好きとかいうことはないが、

掃除は結局拭くことにかぎるんではないかと思っている。

 

以前読んだ玄侑宗久氏の「観音力」にもあった。

庭の落ち葉などを掃いたりすることを

「キリがなければないほどいいんです。」

とお書きになっていて、

「おお!なるほど、それがいいのか!」

と思った。

 

拭いてもまた汚くなるから、やらない、やりたくない、

んではなくて、

また汚くなり、キリがなくてもそれをやることがいいんだと。

そう思えるとなんだか前向きに拭きたくなる。

 

年々、拭く事が重要だと気づいてはいたが、

「それがいい」のだとは思っていなかったので画期的な考え方だった。

 

「キリがないほどいい」ことは毎日の行動の中にたくさんある。

食事を作ること、掃除、洗濯、髪や身体のお手入れ。。

 

毎回面倒だけれど、それがいいんだと思えば前向きになれる。

 

先日、前向きにキッチンの天板を拭いていたときのこと。

小さな汚れがたくさんついている場所を拭いていたら

フキンを通し、汚れがプチプチプチととれていく様子が手の平に伝わった。

その時、なんともいえない快感がはしった。

こんな感覚は初めてで、

うわあ〜〜と思い

しばらく汚れのあるところを拭きまくり

その快感を楽しんだ。

 

前向きにやっているとこんなご褒美があるのね。

としみじみ思うのだった。

 

意味ないのかもね

ふと、思った。

どうして何にでも、意味を考えてしまうのか。

生まれてきた意味、生きている意味、出会った意味、

人生の意味・・・

よく考えたら、そんなのあるのか?と。

 

もしかしたら、この世は何かにつくられていて、

自分も、ひょいっと現れていて、またはつくられて、

生きているんだか、生かされているんだか、

わからないけど、

そういう風なしくみだったとしたら、

あんまり自分には意味がない。

つくっている誰かには意味があるんだろうけど、

そうだったらますます関係ない。

 

意味ないんだったら、はちゃめちゃやればいいじゃん!

って思うけど、実際できない。

何か操られてるような。

良心かもしれないし、プログラムかもしれないし。

 

壮大な演劇みたいだ。

役割が与えられている。

だけど、自分が演じているなんてわかってない。

だから、役でやっていることに

はまりきってしまって、

悩んだり、考えたりしてしまっている。

でも、役をおりたら何か本当の自分に戻るというんじゃなくて

おりるもなにも何もない。

もう役をやるしかない、ような。

 

そんな気がしている。

 

だったら、しょうがない。

どこかで監督している誰か、いるか知らないけど

その通りに動くしかないのか。

そんなの自由がない!とか言って

役ではないことをしようとしても

それも決まっていたとか。

自由とか、不自由とかそういうのもまったくなく、

例えば、週一の習い事みたいに、

その曜日になったら行く。

という感じ、

だとか、決まっているから、そうする、

自分がいるから演じる、

という風なのかもしれない。

 

最近とてもよく感じる。

すごいお金持ちの人、そうでない人、

きれいな人、そうでない人、

大きい人、小さい人、

様々な人がいる。

平等なのは1日24時間があり(これもどうなのかな、本当のところ)、

必ず死ぬってことぐらい。

これって、それぞれ役をあたえられているよなあ、と思う。

 

自分は自分の役目をやるしかなくて、

それの意味なんて考えたってたいしたこと思いつく事なんかないってわけ。

悲観じゃなくて。

人生とか、出会いとか、死とか、

それについて意味を考える事自体、意味ないのかもねえ。