自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


なんでもいいじゃないと思う

少し前は私にひっかかってくる人のことを気にして嫌な思いをしていたけれど

もう、好きにすればいいじゃないの。と思う。

 

この人にこうした方がいいのかな、とか忖度しないでいいじゃない、と思っている。

前はもっと自由だったのに。

働き出してからなんか、自分で何か変な形に押し込めているみたい。

 

でももう自由でいいんだと思える。

暑いせいなのか、なんていうか、面倒くさいやり方、っていうのか、

どうでもいいことを大きく取り上げて、さも重大そうに扱うっていうのか、

そういうのもうお腹いっぱいな感じになっている。

 

そして、最近すごくシンクロが増えているし、

望んだ事がすぐに叶う気がする。

 

他の人にとってはたいした望みじゃないけど、

それがすごく自分に大切なことで、

強く思ったりするとそれが与えられるというような。

 

コロナ前、子供が朝起きられなくて、いろいろ対策しても

クラスの先生は煽ってくるし、

もう私は精神がギリギリの状態だった。

 

コロナが拡がり、休校、今も、遅刻や欠席はカウントされない状態になっている。

コロナは恐ろしいものなのだと思うが、私たちはコロナの流行に救われたのである。

あのまま普通に時が流れていたら、おそらく転校ということになっていただろう。

 

その他先日のピアノの件でも、一瞬、調律師の人このままでいいのかなと

例の傷の件の前に少し思っていたのだった。

それはすぐに叶えられて次回からは丁寧な対応の方に変わることになった。

 

なんていうか、底の部分から湧く望みが叶っているような気がする。

 

何かもう、そういうのが多くて、

世の中の次元が変わってきているんじゃないかとさえ思ってしまう。

 

しかし、子供の受験志望校に関してこちらの望みは叶う感じがないようだ。。

いや、まだわからないかな??

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またもやおかしな感覚が

なんなんだろうか。

 

先日のピアノの傷ショックは和らいだけれども、

最近自分が少し自分から浮いているように感じる。

 

自分は自分の体にいるんだけれど、

それとは別の意識が少し離れているような、

そんな変な感覚。

 

だからといって別に生活で困ることもないけれども。

ピントが合っていない、二重になっているものを見るような、

そういう感じ。

 

別にいいんだけれど。

ピアノも私も傷ついた

先日調律してもらった後に

ピアノが傷ついているのを発見してしまった。

 

鍵盤の左の板に何かの衝撃でできたような傷。

驚いたので、調律した人に電話をかけたが、

 

気づかなかった。記憶にない。見ないとわからない。

これから次の調律があるから、今日は行けない。次にそちら方面へ行った時でいいか。

 

などと言う。

ただでさえショックを受けているというのに。

 

小さい傷だが、大切に使っているので傷があるとすごく目立つ。

結構深いので相当な力が加わらないとできないはずだ。

それを気づかなかったなんて、信じられない。

 

早く直してもらいたかったので、会社の方へ電話すると別の人が対応してくれるという。

別の人はおそらく傷つけた人の半分位の歳だと思うが

その人が謝り、

数日後、丁寧に傷を直し、ピアノをきれいに磨き上げていってくれた。

 

しかし

傷つけた方の人からは何も連絡がない。

 

何度か調律してもらい信頼していただけにショックが大きく、

今も少し引きずっている。

 

どうでもいいことだから連絡がないのか、

もう終わったことだから連絡がないのか、

やった覚えがないから連絡がないのか、

わからないけれど。

 

音だけ良くすればあとはなんでもいいのか、疑問。

私にはよくわからない世界でその人は生きているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かのために自分を変える

仕事でミスをしてもそれほど致命的でない場合は
どうでもいいと思っていたが、
それをどうでもいいと思えない人がいて、


更には、そういうミスを頻発すると
まるで自分がそういうミスをしたかのような気持ちになる人がいて、

 

その人は先輩だけれども、
そういうミスを重ねていたら信頼を得られにくくなるよと言う。
その人は自分の体験と重ね合わせて、
涙するのだった。

 

私のしたミスが他の人の嫌な気持ちを思い起こさせるとわかり、
驚いた。

 

全く大したことはないと思っていた私には衝撃でしかなかった。

別に自分がミスして、信頼を得られないのは自分の責任だからいいとして、
まあ、あんまり良くないけど、
他の人がそれを見て辛くなるようならば変えなければならないと感じた。

 

こんなことを言うと怒られるだろうが、
少しのミスはどうでもいいと今も思っている。
それよりも私にとって大切なのは
ミスばかり気にして小さくならないことだ。

 

赤ボールペンで書かなくてはダメだとか、
郵便物をこの時間に取りに行くんだとか、
ここに丸をつけ忘れてる、この前も言ったけどとか。

 

正直、どうでもいい。

 

だがしかし、その涙した人のためになるべく
ミスをしないようにしようと決めた。

何だか落ち着かない

今朝から何だか落ち着かない。

初めは急激な嘔吐感。

そして下の方からソワソワぞわぞわする感じ。

 

嘔吐感はしばらく続き、今は落ち着いた。

一体なんだろうと不安になる。

 

今も、膝の下がワナワナとしている感じがしている。

体調不良だろうか。

 

 

コロナが蔓延する世の中で

あっという間に、コロナが蔓延している。

洗濯を干しながら、これは9年前のあの大地震の後のような空気だと思った。

何かはりつめた空気。

 

今、人と会う時はマスクをし、なるべく手を洗い、外出を控えるくらいしかできない。

でもそれが感染を減らすことなのだから。

 

収束を待つしかないけれども、大きく変化した世の中に順応していくしかない。

今までの価値観が崩れている。

 

あまりにも急すぎる変化だが、大きな抵抗を生じさせながらも

新しい流れに落ち着いていくのだろうと思う。

 

どんな価値観になっていくのだろう。

先日。寝ているのと起きている間に不思議な感覚があった。

だいたい、そういう状態はそういう感覚になりやすいのだと思うけど。

 

以前の記事で、

 

ガラスかクリスタルかとにかく透明な壁の事を書いた。

その謎が解けたのである。

…ああ、またおかしな事を書くけれども。

 

その透明な壁は第三の目の感覚なんじゃないか。

 

眠りと目覚めの狭間で私ははっきりそう感じていた。

目と目の間より少し上の辺り。

 

インドの人がビンディというのをつけているのは

これを示しているんだと納得した。

 

そのビンディスポット辺りがすごく冴え渡っているような

はたらいているような、妙な感覚があり、

例の透明な壁が本当の視界の上にあった。

 

レイヤーみたいな。

視界がちゃんとあって、その上に透明なレイヤー世界がある。

でもそれぞれがちがう世界というのか。

 

その世界同士がお互いに干渉するのかどうなのか

わからない。

 

勝手にその現実の上のレイヤー世界を

ビンディレイヤーと名付けることにする。

 

そのビンディレイヤーの操作というか、なんとも

表現しづらいけれど、操作は、

に書いた通り、コントロールせずに純粋にシンプルにただイメージする。

ただ、第三の目の辺りは基本的に常に意識している感じ。

 

以前は瞑想的な中で、まったく自分の内部で起こっていただけだったが、

今回は半分起きている感じの中で起こっていた。

 

ビンディレイヤーは透明な虹色になった。

そう望んだからだ。

向こう側は現実の世界が透けて見えている。

 

これは瞑想中での遊びでなく、実際に使える技だったのだな、と驚いた。

 

…ということがあった。

 

ただ、今すぐやってよと言われてもできない。残念。

でもいきいきと思い起こせる。

 

今気づいたけれど、

スピリチュアル系の本で、世界がアセンションすると

突然人や物から虹色のオーラが見えるようになる、というのがあった。

 

という事はそのビンディレイヤーみたいなものが

標準で見えるようになるってことなのかもしれない。

 

第三の目は、感覚として

念とかと関係が深いように感じる。

 

現実にも干渉していたりするのだろうか。

 

コロナウィルスで学校が長期休校になったのも

もしかして??などと思ってしまう。

 

わからないが、とにかく

しばらく様子をみて訓練できそうだったらしてみることにする。

 

何かのシンクロニシティは最近とても意識している。

引き合うのか、偶然起こるのか、わからない。

でも、まるで仕込んだかのような偶然の一致にはいつも驚く。

 

ゲームのガチャをひいたら

出たのは大天使ミカエルだった。