自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


日常が刺激的

初めはたどたどしくても、何度かやるうちに慣れて、

まるで、ずっとそれをやっているかのようになる。

 

なんでもそう。

仕事でも習い事でも

子育てでも、なんでも。

 

慣れるとそれをやるのが普通になってくる。

 

人生劇場の自分の役もそうなのだ。

まるで普通に自分だという風を演じている。

 

自分は何者でもないのに、

その時に与えられた役をやっている。

 

私は今は妻で母で、時々仕事をしている。

それを毎日演じている。

演じているとはわからないくらい自然に。

 

ある日、昼寝から覚めた時、一瞬自分が何者か分からなかった。

次の瞬間、「ああ、私は○○のお母さんで、…」と自分の状態を認識した。

 

その時、自分は何者でもないと思った。

 

だから時々現実に触れていないような気持ちになるんだろう。

 

人の話を聞くとき、映画でも見ているような

気持ちになる。

 

家族7人の晩ご飯の支度を1人で2時間かけてやるだとか、

遠くの整骨院まで行って治療をするだとか、

大人になってから注射を打ったことがないだとか、

一人で京都旅行へ行くだとか、

そんな、自分が演じない話を聞くのは面白い。

 

そして、そういうことが刺激的に感じる。

その人には日常なのだろうけど、私には刺激的である。

 

いろんな人が毎日それぞれ刺激的な役目を演じている。

面白い。