自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


到達?

図書館で借りた

「生き抜く指針を与えてくれる日常禅語の50選」を読んでいた。

今アマゾンでみたら★1つだったけど。。^^;

 

慧能と明上座の有名な話のところで

”「不思善、不思悪、正與麼の時、那箇か是れ明上座が本来の面目」(あれは善いこと、これは悪いことなど、一切思わない、きれいな心のままの時、明上座、あなたの本来の心はどうであるか)という言葉を示されたのです。”「生き抜く指針を与えてくれる日常禅語の50選」より

というところを読んだ時、ばあーっと涙が湧いてきた。

 

電話が鳴ったので、一時本を読むのをやめた。

 

また続けて読むとどうなるのか、恐くて

家事などやった。

 

家事が終わり、また上の所を読むとまた涙が湧いてきた。

何故なのか、と頭で考えてもわからない、

奥底の方から何かわき上がるのがわかるだけ。

 

不思議なことだった。

意図しないまま嗚咽のようになり、

「たどり着いた」というような事が口から出た。

 

何にたどり着いたのか、たどり着きたかったのか?

 

「本来の面目とは、達磨大使が中国に伝えられた正法です。」

とその後の文章にあり、頭で納得した。

また、

「本来の面目とは、自分の真実の姿であり、元来具有している仏の心です。それは清浄無垢な心で、禅では父母未生以前の本来の面目ともいいます。」

とある。

 

ああ、と思った。

 

自分の中に仏がいた。そして、実際に少しそれに触れたような気がした。

 

そして、「ただ、ある。」と口から出た。

 

そしてまた泣きじゃくり、自分でもおかしくなるほどだった。

 

自分を納得させる為に

自分は生前、仏教の修行をしていたのかもしれない、と思う事にした。

そして、生まれ変わり、時間を経て何かに到達したのかもしれない。