自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


大海の一滴

子どもは最近、なんとか学校へ行っている。

部活も復帰した。

環境も改善してくれたようで、先輩は何も言ってこなくなったらしい。

 

がしかし、やはり朝になると「行きたくない」と言う。

 

低血圧なのか、朝が弱い。それが大きな原因なのか、と最近気づいた。

やっとのことで朝起こして、しばらくグズグズ文句を言い、学校へ行く。

 

帰ってくると、元気になって普通に戻っている。

 

不思議だ。

 

学校をかわりたいならかわってもいい、と言ってあるのだから

もういいのだ。

 

さて、私は最近、我欲が薄れている気がしてしょうがない。

 

そして周りの人すべてが同じ状態に見える。

誰かが突出して、いいとか悪いとか

好きとか、嫌いとか、

そういった感じが薄くなっている。

 

子どもの事をあれこれ考えすぎておかしくなったのだろうか?

 

おんなじ。だれもかれもがおんなじ。

 

自分がグイグイ突出したいという気がない。

がんばろうとしていない。

それはもう自然にそうなっている。

 

だから、危険かもしれない。

きれいにしようと心がけているけれど、

意気込みがない。大丈夫か。女性として。

 

もうそんなこともどうでもよく、

投げやりなんでなく、

自分は大きなもののわずかな一滴として、いるだけ。

 

大海の一滴。

 

一滴の集合の中の一滴。

 

だからどれも同じに見えるし、

自分も同じ。

ざぶん、ざぶんと一滴として存在する。

 

だから突出するのも無意味だし、あれが嫌い、

これが好き、そういうのもない、

そんな感じでいる。