自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


期待しない教

先日「期待しないこと」を書いたが、

とても有効な気がしたので、

私は実践してみた。

 

前から歩いてくる人がよけてくれる、ということを期待しない。

挨拶をしたら挨拶を返してくれる、ということを期待しない。

夫が話をちゃんと聞いてくれる、ということを期待しない。

子供が自ら勉強にとりかかる、ということを期待しない。

自分が作った自然の酵母でパンがうまくふくらむ、ということを期待しない。

レジの人が感じよくニッコリしてくれる、ということを期待しない。

ヘアスタイルが完璧にきまる、ということを期待しない。

すぐに美肌効果があらわれる、ということを期待しない。

いつか悟るんだ、ということを期待しない。

いつか自分がすごくなるに違いない、ということを期待しない。

たくさん本を読んだら悟りに近づくに違いない、ということを期待しない。

面倒なことはおこらないに違いない、ということを期待しない。

 

ああ。

期待しないことがこんなに心安らぐとは。

 

期待するから苦しくなるのではないか?

 

だって、好きな人が優しくしてくれるものだと期待し、

優しくしてくれないとがっかりして悲しくなる。

であれば、期待しないようにすればいい。

はじめから期待もなにもしない状態であれば

好きな人が優しくしてくれなくても、

そういうものかとそのままを受け取り、

がっかりして悲しくなることはないのである。

 

これは、今、ここ、そのままとか、

仏教の執着しないとかに似ている、いや同じかもしれないが、

もっと理解や実践が簡単なんではないかと思う。

 

たいへんこの単純なしくみに気づき私は嬉しくなった。

これから「期待しない教」としてひそかに実践していこうと考えた。