自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


ブッダはブッダだから

ブッダはブッダなりに悟りをひらいたんだし、

ブッダのモノマネをしてもダメなんじゃないか、と最近思う。

いろいろ読んでみるに。

 

ただ、大昔の日本でそうだったように、

当時上に立つ立場にいて、民衆をまとめようとしたら

やっぱり仏教推奨しちゃうだろうな。

元のをうまく都合良く書き換えたりして。

悟りや幸せをちらつかせてうまくまとめていくみたいな。

なんか別の目的で。

ブッダが嘆きそう。

 

はあ。

”ブッダに会ったら、ブッダを殺せ”だったか。

 

ブッダファンのままではいけないのだなあ。

やっぱり、自分でなんとかしていくしかないんだわ。

 

こうなると、ヘタにブッダの本とか読んだりするよりも

全然読まないで生きている夫みたいな方が幸せなんじゃないかと思う。

仏教で毒と言われている「怒り」も日常茶飯事で

特にそれについて考えたりしてない。

その怒りの状態をみるこっちはいや〜な気分になっているのに

夫は臆することなく怒りを放出し、すっきりしている。

あとは引きずる様子もなく。

べつに業、カルマが、とか心配もせず。

いいよね。

シンプルで。

幸せだよね。

 

なんだか、しばらく続いた仏教系はもうおなかいっぱいなんだな。

ヴィパッサナー瞑想とか見よう見まねでやってみたものの、

ちょっと入りきれなかった。残念ながら。

 

ちょっと今はメンタリズムに興味をもっている。

あとは宇津木式美容法と。

 

とにかく変によくわからない高みに行こうとするのはやめようと思った。