それでもやはり。。。
またこの前、3~4日前も振動がおこった。
今度は落ち着いて、あえて抜け出ようとするのをやめて
自然に待った。
が、だめだった。すーっと振動は消えてしまった(´д`lll)
やはりうたた寝。何の本を読んでいたかな、え~と
禅というか、ひろさちやさんの本だった。
この方、仏教だけでなく、キリスト教とか、
他の宗教にも造詣が深い。
そしてとても面白い方と思う。
初めて「禅がわかる本」を読んだとき、
これほんとに宗教系の本なのか?
と思ってしまうほど、斬新なはじまりに度肝を抜かれた。(°д°;)
わかりやすく、面白い視点が新鮮で、
時々爆笑しながら、
一気に5冊読んだ。
その途中でのうたた寝。
後日キリスト教系の本を読んでうたた寝したが、
何もおこらず。
まあ、いいんだけど、
一番書きたかったのは、それでなくて、
人はもう、神様や仏様のような存在(存在じゃないかもしれないけど)から、
決まった人生のコースをいただいているとしたら
子どもがやりたくないことを親が無理にさせるというのは
どういう風に考えればいいのだろう、
という事。
もう決まっているコース外の事を、いいことだからといって、
親がむりやりそっちのコースの事をやらせるというのは
これ、どうなのか。
うう~ん。
勉強ぎらいなのに、無理矢理勉強させるのはどうなのか。
運動苦手なのに、無理矢理運動させるのはどうなのか。
そういえば私は小学校4年生からそろばんをやって、高校2年までやっていた。
最初は楽しかったが、1級を超えたところからとても苦しくなって、
2段をとるまでほんとうにつらかった。やめたかった。
でも親は3段までやめるなと言って、やめさせてもらえなかった。
結局3段までとれず、なんとか2段まではとったのだが、
もう、今はそろばんを見るのもいやだ。
見るとつらい。
それは親としては、何か頑張って続けた証として、
人生のためにやらせたらしいんだが、
しかし、だからなんだってんだ!
つらかったんだからやめちまえばよかった!
と思うけど、だって、子どもだからそんなことできなかった。
そういう感じで、つらいのに親が言うからとか、
さからえないから、とか、そういう感じ、
イヤだな。
先日も父がわが息子に
「図書館の本棚の一段を全部読んでみるんだよ。そうすると…云々」
と言っていて、
内心(またそうやって操作しようとしているな)と思っていた。
そんなことは本好きなら楽にできるんだろうけど、
基本、本好きでないのに、どうしてできるんだ?
辛いだけで、本見るのもいやになったらどうしてくれるよ。
人生は自分を痛めつけながら切り開くと思っているんだろう。
もう、そういう時代は過ぎたと思うけどね。
ゲームばっかりやってアホになる(←父曰く)としてもしょうがないと思う。実際。
そういう風に生きるといただいた人生なら。
もし、もう決まったコースが用意されているのなら、
ゲームばっかりやらせたとしても
アホになるコースだけでなく、
その子のコースにそった何かが起こってくるのではないか?
恐ろしいが、放置して観察していたい気持ちにもなってくる。
どうなってしまうのか。
アホになるのか。ひきこもるか。
対人恐怖になるか。
どんなになってもそれはそれで、そういうものだから、
納得する。という子育て。
…いやあ、怖い。
勇気が、ナイ。
これを夫に言ったら、
はあ?何言ってんだとばかりに
「最低の読み書き計算ぐらいまともにできなきゃ生きてけねーだろ!」
と言われた。
何か、
「あっ、そうか、そうだよね~(^o^;)」
と言ったけど、でもどこかで、
最低の事ができなきゃどこかでやるようになるか、ならないか、
それも決まっているんじゃないのか?
どうしても、そういう考えが消えることがない。
やはり、納得いかないのである。