自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


ブレーキとアクセル


仕事が始まった。

アルバイトから少し昇格。

 

仕事内容が違うので、

1年見てきた感じと全然違う。

 

その時、そこのトップの方に

「見てきた景色と違うかい?」

と言われ、あまりの表現のピッタリさとタイミングに驚いた。

 

電話連絡等も初めてやって、

ものすごいドキドキを

「ドキドキがこっちまで伝わってきたよ」

と突っ込まれる始末で。

 

ある人に、「○○さんさあ、何考えてるかわかりやすいからね」

とか言われたばかりで、そんなにわかりやすいのかと冷や汗をかいた。

 

でも、わかりやすくても読まれやすくても別にいいじゃないかと

いう気がしてきた。

 

その時は読まれても別にそれがどうこうなるわけじゃないし。

ドキドキしたり、アップアップしたりしているな、

と思われてもそれがどうした?

 

人間だもの。ね。

 

完璧じゃない。

完璧ならいいかというとそうでもないし。

 

時々私は自分が自分でないような、

不思議な気持ちになる。

ゲームの中にいるような、

それで、もう一人ちょっと違う自分が操作しているような。

 

ゲームの中の自分は「え?これでいいの?」

と思っていて、操作する自分は

「これでよし」と決定ボタンを押してしまうみたいな感覚。

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さっきも、PTAのラインでトラブルの解決法を思いついて

文章を書いたのだが、

「どうしよう?こんなこと特にわざわざ提案しなくてもいいのかも」

と思い、少し躊躇した。

 

ところが、次の瞬間操作する自分は送信ボタンをポンと押してしまった。

というような。

 

あ、PTAといえば、役員決めで誰も手を挙げず、

私だっていやなのに、まるで操作する自分が

勝手に手を挙げさせたみたいな時が何度もあった。

 

おかしいんだろうか。

でも、そういう場面は日常的によくあり

先日だって、言わなくていいのに夫に余計な意見を言ってしまった。

おかげで、夫は怒り狂ったじゃないか。

 

ああ、ブレーキとアクセルのような関係。

「ちょっと待った!」とブレーキを踏もうとすると

勝手にアクセルの方が作動するみたいな。

 

アクセルを操作している自分は無茶なようだが、

この世界で小さくまとめようとするブレーキの自分をもっと

広い場所に連れて行くようだ。

 

PTAの役員になっていろいろな経験をしたし、

夫とはクリアな気持ちで接することができるようになった。

さっきのLINEでは完璧だが厳しい意見をくれる人のなかで

優しい意見をくれる人に感動した。

どちらもそれはそれで有り難いことだけれど。

 

アクセルはどんどん広い世界に私を連れて行く。

広い世界に出るにはいろんな引っかかりがでてくる。

 

でも、前にも書いたが、所詮この世は光のつぶつぶなんだから、

そう大げさにとらえなくてもいいのだ。