自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


何者でも意味もないからこそ

自分は何者でもなく、人生に何の意味もない、と分かったが、

じゃあ、ヤケになって、あるいは、ぼんやりして過ごそうとは思わない。

 

何者でもなく、意味もない人生というテーマパークで

いろいろな感情というものすごい数のアトラクションを

体験できるのだから。

 

ヤケになったり、ぼんやりしていたらもったいない。

どんどんアトラクションを楽しみたい。

 

なんとかランドが嫌いでも、なんとかランドに連れていかれたら

そこでぼんやりしている場合ではない。楽しむのだ。

元がとれないじゃないか。

 

とりあえず、人生テーマパークでは

すぐ近くのアトラクションを楽しめることになっているようだ。

 

毎日の目の前のことをひたすらやることでそれを楽しめることになる。

一般に楽しいとか嬉しいとか、心地良い感じだけでなく、

苦しい辛い、心地よくない感じのもあるが、

 

それはぐるまぜで選べない。

いや、どこかで自分で選んでるのかもしれない。

 

いいとかわるいとかの区別なく

それを自分の中身が楽しんでいる。

 

自分を楽しませるために私は今日、今、やることを

ひたすらやるのみだ。

 

今はこれをひたすら書く。

さっきはテーブルをひたすら拭いた。

昨日はPTAの活動をひたすらやった。

 

建設現場で作業する人がひたすら作業している。

散歩する人がひたすら歩いている。

話をしている人たちがひたすら話している。

 

それぞれのアトラクションをそれぞれ楽しんでいる。

 

寝る時は、ひたすら寝ればいいのだし、

時に怠けたければひたすら怠ければいい。

毎瞬、必ず人生劇場においてやることがあって、それをやることなのだ。

 

アトラクションは数限りなく、次々現れる。

 

それが今を生きるということなんだと思うし、

実際そうすることしかできない、と思う。