自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


意味ないのかもね

ふと、思った。

どうして何にでも、意味を考えてしまうのか。

生まれてきた意味、生きている意味、出会った意味、

人生の意味・・・

よく考えたら、そんなのあるのか?と。

 

もしかしたら、この世は何かにつくられていて、

自分も、ひょいっと現れていて、またはつくられて、

生きているんだか、生かされているんだか、

わからないけど、

そういう風なしくみだったとしたら、

あんまり自分には意味がない。

つくっている誰かには意味があるんだろうけど、

そうだったらますます関係ない。

 

意味ないんだったら、はちゃめちゃやればいいじゃん!

って思うけど、実際できない。

何か操られてるような。

良心かもしれないし、プログラムかもしれないし。

 

壮大な演劇みたいだ。

役割が与えられている。

だけど、自分が演じているなんてわかってない。

だから、役でやっていることに

はまりきってしまって、

悩んだり、考えたりしてしまっている。

でも、役をおりたら何か本当の自分に戻るというんじゃなくて

おりるもなにも何もない。

もう役をやるしかない、ような。

 

そんな気がしている。

 

だったら、しょうがない。

どこかで監督している誰か、いるか知らないけど

その通りに動くしかないのか。

そんなの自由がない!とか言って

役ではないことをしようとしても

それも決まっていたとか。

自由とか、不自由とかそういうのもまったくなく、

例えば、週一の習い事みたいに、

その曜日になったら行く。

という感じ、

だとか、決まっているから、そうする、

自分がいるから演じる、

という風なのかもしれない。

 

最近とてもよく感じる。

すごいお金持ちの人、そうでない人、

きれいな人、そうでない人、

大きい人、小さい人、

様々な人がいる。

平等なのは1日24時間があり(これもどうなのかな、本当のところ)、

必ず死ぬってことぐらい。

これって、それぞれ役をあたえられているよなあ、と思う。

 

自分は自分の役目をやるしかなくて、

それの意味なんて考えたってたいしたこと思いつく事なんかないってわけ。

悲観じゃなくて。

人生とか、出会いとか、死とか、

それについて意味を考える事自体、意味ないのかもねえ。