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自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


「怒り」の観察

昨日、息子がテレビで映画を見ていて、

最近テレビをほとんどみない私だが、

ちょっと面白くて見てしまった。

「マチルダ」という映画で情報を見たら、ダニー・デビート監督だった。

マチルダという女の子が親やへんな校長に怒鳴られ、

その怒りが超能力を発揮させて、

校長をギャフンといわせる

というような内容だった。

なんとなく最近の課題である、「怒り」が入った映画だったので

ちょっと興味深かった。

「怒り」が新しい能力を開花させている。

「怒り」はよくないものでなく、やはり

何か大きなエネルギーの源ではないかという気がした。

それを見た後、

息子と美術館に出かけた。

美術鑑賞という息子の宿題だからだったが、

そこでも私は興味深いことに気づいた。

素晴らしいとされる絵は何かしら、

エネルギーを含んでいる。

それがもしかしたら、怒りかもしれない。

と思った。

怒りだけでなく、苦悩も。

そういうものがあるから絵に重厚感が出るのか。

配色や構図の奥底にある苦悩。怒り。

それがないと重々しさを感じられないのかもしれない。

わからないけれど。

怒りや苦悩はきっとエネルギー源になっている。

そんな気がした。

私も前はそれがエネルギー源だったように思う。

このごろ、あまり美術館で絵を見たいという気持ちにならないのは

このせいか、と思った。

画家の重いところからのエネルギーに

もう同調できない自分になったのかもしれない。

それがいいか、悪いかはともかく。

そんなことがあった

昨夜は夫の態度に怒り、

今朝、夫に怒りをぶつけた。

夫は出かける前に、怒りをぶつけられたのが気にいらなく、

怒った。

もはやめちゃくちゃな展開。

それで、私はまたもや怒りがこみあげ。。むかっ

もちろん、前回学んだように

有効にエネルギーを使うため、掃除した。

「怒り」とはなんだろう。

よくないとされている。

でも、今、私はよくないとは思わなくなってきている。

自分が感じるままに

それを観察してみようと思った。目

やはり、たいしたことではないから、と「怒り」を抑えようとする。

でも抑えられない。

今の私は観察する。

この「怒り」は自分が作り出しているのだから、と説得しようとする。

観察。

おさまらない。

観察。

やっぱり10年計画でいつでも自立できるようにしなくては、と

秘密の計画を思い出す。

観察。

トイレの掃除を終えて、

ネットで探そうと思っていた、

「ホ・オポノポノ」を検索する。

「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「 愛しています」

と腹立たしいが心で言ってみる。

ちょっと落ち着いた。

船井幸雄とか調べていたら、なんかもう怒りのことはどうでもよくなってきた。

結果。

「怒り」はものすごい嵐のようなエネルギーだが、

それはいずれ去りゆく。

でも、それに自分で更なる怒りを追加して

盛ってしまうと、ややこしくなり、去るのが遅れる。

なので、観察が一番よさそう。

これを書いている途中にも、腹立たしい内容の電話を受けた。

ああ、そういえば、米袋からペットボトルに

米を移し替える時も、ろうとが倒れて、

大量の米が台所に散乱したっけ。(´□`。)

「怒り」は「怒り」を呼ぶんだろうか。

「怒り」がエネルギーだとしたら

同じ種類のエネルギーをひっばるんじゃないか。

昨日、今日、それを実感した。

もう、「怒り」エネルギーに対しては掃除で対処。

あとは自然にまかせるしかないな。