自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


ラムサの衝撃の続き♪

さて、前回の続きです。

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「ラムサ―真・聖なる預言」を読んで衝撃を受けたのは、

今のこの身体をもって昇華できるということだったが、

衝撃、まだある。

このラムサさんだけでなく、

だれでも「自分は神で何でも知っている」らしい。

それを完全に受け入れたときに、

神とひとつとなり、

何でも知ることができ、

昇華できるということらしい。

そして、思考は自分が作っているのではなく、

意識の流れから入ってくるのを自分が許しているものらしい。

想念は自分の存在と出会い、発光するみたいなのだが、

視界の横の方でこの発光の瞬間が見える人がいるとのこと。

自分が考えていたんじゃなかったんだ!?

何かが何かの基準で入ってきてただけなのか?

それを自分の考えと思っていたのか?!

これがまた衝撃で。

そして、その発光とやら、見てみたい!と思って目をつぶったが、

どれがそうなのか?

わからない・・・あ!( ̄Д ̄;;

「わからない」と言うの、

「自分の創造性と人生を限定してしまういちばんの方法」らしい。

「わからない」というとわかることはないかららしい。

わ、わかると思います。いや、わかります(・Θ・;)

まあ、まとめると

自分のあるがまま、

人にも自分にも価値判断をくだすことなく、

フィーリングに従って生きることで

夢の昇華に近づけそうである。

ちょうど、

「ああ、また生まれ変わって1からまた始めるなんてもうイヤだな」

と思っていたので、ちょうどいい時に読んだかもしれない。

「また生まれ変わりたいか」と夫と話をした時、

夫は「もちろん!また生まれ変わりたい!」

とヤル気満々だった。

子ども時代が楽しかったらしいので、もっと

楽しみたいらしい。

私は、「そっかあ~大変そうだな~私はもういいや」と思った。

夫が望んでいる限り、きっと、生まれ変わるんだろう。

けど、私も死んだら忘れて生まれ変わりたくなるかも?

いや!そのためにも昇華しなくては!!

と強く思うのであった。