自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


とうとう手をつけた!@@!

最近は、膜のことも検定のこともど~でもよくなっている。

暑いせいか、ちょっと風邪気味なのか。

そして、ものを捨てて、スッキリしようとしている。

前から洋服だとか靴だとかはやってはいたのだが、

とうとう、手をつけてしまった。

過去の自分の立体作品。

段ボール箱3つはあった。

それをゴミ袋におしこんでいく。

よかった。一つずつ紙にくるんでいて。

見たら、悲しくなってしまいそう。

いや、見なくても最初は何だか

涙がでそうな感じだった。(捨てなくちゃいけないのか。。)と。

でも、それは最初だけで、

機械的にゴミ袋に入れていくうちに、スッキリしてきた。アップ

突き抜けたように。

保管していた小箱がまた大量で。

そのうち菓子箱の日付が2001年とあり、ゾッとした。叫び

10年以上保管していたのか。自分。

というのにゾッとした。

いつか、自分の展覧会で、これを飾る日がくるのかも音譜

なんて、考えていたが、結局は10年以上場所をふさいでいただけであった。ガーン

徹夜して作ったり、その時はまるで自分の子供みたいに思っていたけど。

別に成長するでなく、一回活躍しただけで暗い箱の中にしまいこまれていた。

いいよね。もう。

ありがとう、と言いながらぐいぐい押し込んだ。

ごみ袋に3つ分。

勢いがついたので、

禁断の日記にも手をつけた。

みんな日記どうしてんだろう?

とウェブでリサーチするに、

風水的には毎年処分なんていうのや

辛い、重い内容のはよくないから処分だとか、

急に死んだとき、家族に見られたら恥ずかしいからとか、

いや、見ないで処分してくれという但し書きをつけた箱に入れておくとか。

見るなと言われると見たくなっちゃうけどね。

ともかく、急死して一番怖いのは日記だ。

子供に見られたら大変だ。それこそ

死んでも死にきれないってやつだ。

処分方法はゴミに混ぜても見られる可能性がないとはいえない。

リサイクルで古紙として出したとしても

リサイクルの途中でも何かの拍子でそれがばらばらと分散でもしたら

恥ずかしすぎる。

で結局見られてもオッケーなのを残し、

数時間、シュレッダーにかけ続け日記はゴミ袋1個分となった。

屋根裏の一角がスッキリとし、爽やかな感じがした。キラキラ

あとは過去の大量の写真との格闘がまっている。

ほぼいらないだろうけれど。

そして、手紙の類。

これまたいらないだろう。

老後に読み返すとかあるんだろうか?

いや、それより急死したら家族が処理するのが大変だ。しょぼん

死んだとき、

「お母さんは、ものが少ない人だったね」

と言ってもらうために今捨てるのである。