自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


カボチャ一口の話ではない!

カボチャのサラダを食べない夫に頭にきた。

シチューにサツマイモやジャガイモが入っていたからもう食べたくないという。

じゃあ、と、「はい、あーん!」と食べさせようとしたのに

断固拒否された。

「大人なんだから、無理強いしないで」と言う。

じゃあいい、と怒っていたら、カボチャを1口食べないだけですごい怒っていると

言われた。

はあ?1口だけの問題と思っている?

ちがうんだよ!

体にいいからすすめたのに、1口くらい食べてもいいじゃない。

大人なんだから!察してよ。

また悲しくなってきた。

癌に関する本を今日も読んで、がん予防にカボチャいいって書いてあったんだよ。

だからサラダにしたのに。

無力感。

そう、この間もこの感じだった。

父がコンビニに土地を貸すとき。

夫にいらぬ薬を排除したのに分かってもらえなかったとき。

そう、良いことでも押し付けてはいけないのだ。

たとえ身内でもね。

薬も夫に好きなだけのませているし、

父は結局土地をコンビニに貸した。

義父はまだ抗がん剤を飲み続けているし、

体質改善にもあまり興味を示していないようである。

でも、何も影響なかったかというとそうでもなかった。

父は契約を締結するときにちゃんと公証役場へ出向いたそうだし、

夫も、義父に「あんまりよけいな薬は飲むな」

とアドバイスしている。

先日は義母が玄米を買いに行ったと言っていた。

100のうち5か、10くらいの割合で届いた感じ。

そんなものなのかもしれない。

さっきは子どもの歯を磨こうとしたら、

布団に隠れて磨かせまいとしたので、

歯ブラシを投げて「もういい!」と怒った。

ごめんね。

気分が荒れていると態度も荒れる。

いらいらしていると、辛抱強くなれないんだな。

子どもは「耳掃除、明日でいいから」

と子どもなりに気を遣っていた。

ごめん、子どもなのに。

そういえば、カボチャの一件で夫と凍り付いたとき、

子どもは必死に面白いことを言って笑わせようとしていた。

私は怒りながらも、「ほう」と思っていた。

とっとと寝た夫と、気を遣っている子どもを寝室に残し、

台所へ行き、私はあのときみたいにまた泣いた。

ほとんど嗚咽だった。

自分がまるでばかみたいに思えるのだ。

癌に関する本をたくさん読んですごく知識は増えた。

でも、それはただの知識で、ほとんど利用されることはない。

なのに、何故、私はそうしているんだろう。

癌になりたくないという夫に、癌にならないためのサラダを作って、

拒否されて。

いったい、何のために?

ばかみたいである。

先日、私は気になる詩を見つけた。

マザーテレサの詩である。

その中の一部に

「あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう

 気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい」

とあり、私は泣いた。

救われたと思った。

マザーテレサさん、ありがとうございます。

いいんだよ、気にしないで自分の信じるところをいけば。

と言われているようで、この詩を読むと力が湧いてくる。

さっきも読み、無力感から脱出できた。

無力感への特効薬かな。

最近、PTAのことでイライラも重なってたし、ちょっと

気持ちが、がさがさしてたかもしれない。

泣いたし、すっきりした。

いいじゃん、自分に100伝えればそれで。キラキラ