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自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


中心におくもの

お久しぶりです

図書館で予約していた大人気の本が廻ってきたので読んでみた。

「7つの習慣―成功には原則があった!」
スティーブン・R・コヴィー (著) ジェームス スキナー (著) 川西 茂 (翻訳)

最初は何とか読んだが、次第に難解になり、そのうち、熟睡を誘うように..
これぐらい読めなくて、成功できるか!
とばかりに気合を入れてはみるものの、気付くと夢の中..

難しいんです。なんか
もっと簡単に~~
成功する人は簡単に読めるのかな??

寝ちゃうし、もういいか。
と、ほとんど後半を読まずに返却。

でも、1つくらいは理解できるところがあるもの。
それは、..え~と、既に忘れかかっている。
もうかなりうろ覚え。

ある人が、何かにつけ誰かにされたことを怒ってばかりいたのか、
従業員がだめだとか、怒っていたのかな、
まあ、そういう感じで、その人は一日中怒ってばかりいたのだが、
その人に、著者の人だったか、が、
「あなたはどうしてその人を生活の中心にもってきているのか?」
とかいう質問をした。
と、いうような、ところ。

それを読んだ時、ああ!、と私は納得した。
ずっと昔、そういう事があった。
はんこやのおばちゃんが、注文通りにしていないのに、
間違いを私のせいにした時。
態度も頭にくるもので、夜もくやしくて眠れない事があった。
寝ても覚めてもそのおばちゃんを思い出してはくやしがって、
怒って、いろんな人に話して、また怒っていたっけな。
確かに、その時、生活の中心にそのにっくきおばちゃんがいたわけだ。
大事な私の人生の何日間にもわたって、そのおばちゃんは
私の生活を支配していた。
思い出したくもないはずの、そのおばちゃんが!!

それは、つまり、わたしが、おばちゃんを生活の中心に据えていたというわけ。
わわっ!もったいないっ!

わたしが、おばちゃんを中心にもってきていなければ、
別のいろんな事を中心にもってこれたのに。
実にもったいない。
生活をのっとっていたのが、おばちゃん、いや、おばちゃんに対する怒りだ。
今まで私の人生で怒りが中心にいすわっている事が多かった。

親に対する怒り、不条理さへの怒り、家族への怒りなどなど..
怒りをいかにコントロールするかが、最近の私の課題でもあり、
生活の中心におかない事で、かなりコントロールできるのではないかと思った。

なるほどなあ、と思いながら、夫と車に乗っていたら
運転中の夫は、危ない運転をする人や、歩行者に、始終
腹を立てていた。
そうそう、夫は今、どうでもいい怒りを今、中心においているな、
と、冷静に分析。
そして、怒りを中心においている夫にいちいち反応して不快に思う、
という事を中心においてしまっている私にも気付いたのだった

どうせならなるべく有用なものを生活の中心におきたいものである。
生活の中心におくものこそ、人生の中心になるのだろうから。