自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


全部が自分

今、「癒しの光」上 バーバラ・アン・ブレナン
という本を読んでいる。
難しくて、ばーっとは読めないが、興味をひくところだけ読んでいる。

その中で、「人はよく自分の病気や欠点を自分とはまるで別のものとして、
自分から切り離して考えるが、別の物ではなく、全部自分と一体だ」
というような事が書いてあった。
理屈的には、当たり前のようだが、私は切り離して考えていた。
この部分を読んだ時、「ああ!そうだ!」
と、私にすーっと入った。

確かに、自分の病気や欠点はじぶんのものでないように言ったり、
ふるまったりする。
「イヤな花粉症!」だとか
「このふっといモモが気に入らないの!」とか。

でも、あ、そうか。これは全部自分のものだ。
ヒドイ事言っちゃかわいそう。
自分なのに。

だから、どうしろっていうのかは..
忘れたので今、見てみた。
あ、そうそう。
それが起こったのはもともと自分に関係しているのだから、
切り離して考えるんではなく、
どうしてそうなったか、を考え、
どのような事が必要なのかを一緒になり考える、
という事らしい。
「もう、花粉症なんてだいきらい!もーなんとかして!!」
でなく
「花粉症がひどくなったのは、ストレスや食生活がひどく
免疫が落ちてきたからだ、もっと、ゆったりかまえて
食生活を改善していこう」
みたいな態度がいいって事なのかな。

そして、自分の「ふっといモモ」は「いやだ」と思わせる外部のパーツではなく、
実際は一体化している自分の愛すべき一部なのだ。
それに気づいたら、「ふっといモモ」はもう欠点とはいえないのでは?

それは自分の一部だから、何も欠けてはいない。
欠点ではなく、気になるところというだけだ。
その時点では「ふっといモモ」だが、自分そのもの。
「ふっといモモ」を排除しようというんではなく、
「モモがふとくなったのはお腹に力の入っていない
だらりとした生活をしてきたという事だ。
今後は少しずつ気合を入れて過ごそう」などと思えば
効果が高くなりそうだ。

切り離して考えていた部分を自分に集めたら、
自分がすこし頑丈になった気分になる。
「おかえり、イヤだった部分達!」
と、欠けていた部分が戻る感じ。

あ、欠点とは、
自分に欠けているんではなく、自分が欠けさせた部分なのかもな。
それを自分で戻せばいい。
そういう事かな。