自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


ODだった

やはり起立性調節障害だった。

病院で診断された。

 

血圧と症状の聞き取りだけの診断だったが、

まあ、そうなんだろう。

 

OD(Orthostatic Dysregulation)というらしい。

 

思春期に強くあらわれる。

成長が止まれば良くなるとのこと。

 

じわじわ身長が伸びているので

まだ良くならないように思う。

 

朝、だんだん起きられないのがひどくなっている。

 

意識はあるが、体が思うように動かないんだとか。

 

夫と二人がかりで毎日起こしているが、

どんどん登校時間が遅くなっている。

 

学校がつまらないんだそうだ。

 

そんなこと言われても、みんながみんな

いや、ほとんどの子はつまらないけど

行ってると思う。

 

何か刺激的な面白さを求めているらしい。

 

恋愛も興味なさそうだし、興味があるとしたら

ゲームしかない。

 

ああ。

 

しょうがないと思うけど、

毎朝、どうしたら起きるのか、

本当に困った。

 

到達も意味なし

何かに到達したらしいのはいいが、

まったく日常には無意味であった。

 

子どもが朝起きない。

今週はもう3回も遅刻している。

 

あまりにもおかしいと

調べるに起立性調節障害というのがあるらしく、

それではないかと思った。

 

朝起きられないのも、夜遅くまで起きてしまっているのも

立ちくらみも目眩も倦怠感も頭痛も

それで説明つくじゃないか!

 

まったくたいへんな発見だと思った。

 

もしそうなら。。

 

子どものせいじゃない。

私たちのせいじゃない。

 

救われる!!

 

ただ、担任の先生は逃げだと思っているらしい。

 

仕方ない、とりあえず病院を探そう!

到達?

図書館で借りた

「生き抜く指針を与えてくれる日常禅語の50選」を読んでいた。

今アマゾンでみたら★1つだったけど。。^^;

 

慧能と明上座の有名な話のところで

”「不思善、不思悪、正與麼の時、那箇か是れ明上座が本来の面目」(あれは善いこと、これは悪いことなど、一切思わない、きれいな心のままの時、明上座、あなたの本来の心はどうであるか)という言葉を示されたのです。”「生き抜く指針を与えてくれる日常禅語の50選」より

というところを読んだ時、ばあーっと涙が湧いてきた。

 

電話が鳴ったので、一時本を読むのをやめた。

 

また続けて読むとどうなるのか、恐くて

家事などやった。

 

家事が終わり、また上の所を読むとまた涙が湧いてきた。

何故なのか、と頭で考えてもわからない、

奥底の方から何かわき上がるのがわかるだけ。

 

不思議なことだった。

意図しないまま嗚咽のようになり、

「たどり着いた」というような事が口から出た。

 

何にたどり着いたのか、たどり着きたかったのか?

 

「本来の面目とは、達磨大使が中国に伝えられた正法です。」

とその後の文章にあり、頭で納得した。

また、

「本来の面目とは、自分の真実の姿であり、元来具有している仏の心です。それは清浄無垢な心で、禅では父母未生以前の本来の面目ともいいます。」

とある。

 

ああ、と思った。

 

自分の中に仏がいた。そして、実際に少しそれに触れたような気がした。

 

そして、「ただ、ある。」と口から出た。

 

そしてまた泣きじゃくり、自分でもおかしくなるほどだった。

 

自分を納得させる為に

自分は生前、仏教の修行をしていたのかもしれない、と思う事にした。

そして、生まれ変わり、時間を経て何かに到達したのかもしれない。

 

大海の一滴

子どもは最近、なんとか学校へ行っている。

部活も復帰した。

環境も改善してくれたようで、先輩は何も言ってこなくなったらしい。

 

がしかし、やはり朝になると「行きたくない」と言う。

 

低血圧なのか、朝が弱い。それが大きな原因なのか、と最近気づいた。

やっとのことで朝起こして、しばらくグズグズ文句を言い、学校へ行く。

 

帰ってくると、元気になって普通に戻っている。

 

不思議だ。

 

学校をかわりたいならかわってもいい、と言ってあるのだから

もういいのだ。

 

さて、私は最近、我欲が薄れている気がしてしょうがない。

 

そして周りの人すべてが同じ状態に見える。

誰かが突出して、いいとか悪いとか

好きとか、嫌いとか、

そういった感じが薄くなっている。

 

子どもの事をあれこれ考えすぎておかしくなったのだろうか?

 

おんなじ。だれもかれもがおんなじ。

 

自分がグイグイ突出したいという気がない。

がんばろうとしていない。

それはもう自然にそうなっている。

 

だから、危険かもしれない。

きれいにしようと心がけているけれど、

意気込みがない。大丈夫か。女性として。

 

もうそんなこともどうでもよく、

投げやりなんでなく、

自分は大きなもののわずかな一滴として、いるだけ。

 

大海の一滴。

 

一滴の集合の中の一滴。

 

だからどれも同じに見えるし、

自分も同じ。

ざぶん、ざぶんと一滴として存在する。

 

だから突出するのも無意味だし、あれが嫌い、

これが好き、そういうのもない、

そんな感じでいる。

 

まあ、いいや

テスト期間が終わったら一週間休みたいと言って

子どもが今日学校に行った。

 

社会人か?そんな自由に。

と思ったが、本人なりに考えてのことなんだろう。

 

もう、いろいろと考えて、もういいや、

という風な感じになっている。

 

それは別に放棄しているわけではなく、

子どもなりに考えた結果なのだ、と思うようにしている。

 

合わない環境で疲弊して、大切なものを失ってしまうより、

軌道修正して違う環境を探した方がいいじゃないか、

と思うから。

 

根性とか、もういい。

そんなの、子どもにはなんの役にも立たないんだろう。

 

繊細さのわからない大人が根性論。

イヤになるよね。そりゃあ。

 

そういう人には何言ったって変わらないだろうし。

 

ステキな大人もたくさんいるけど、

そうでない大人と三年間関わるのはつらいな。

 

まあ、いいや、もう自分でいろいろ考えられる位

大きくなったのだから。

学校行きたくない、その後

子どもが学校へ行きたくないと言って

前回書いてから間もなく

朝、遅刻しそうになって、子どもがずっと泣いていたので

夫が「泣く程なら休め」と言い、

休ませた。

 

ああ、いよいよ不登校になるか、と思ったが

部活の先生がいいタイミングで電話をくれたので

翌日は行くことができた。

 

子どもは頑張っている。

時には休ませてもいいのかもしれない。

 

休んだのはその1日だけであとは登校している。

 

学校の環境に耐えられる子もいれば

耐えられない子もいる。

 

今はもう昔ではないので

画一的な根性よりも

その子それぞれに合うがんばりでいく時代なのか、

という気がしている。

 

スポーツ界ではいろいろあるが、

子どもの部活でもいろいろあり、

感情よりも根性を求められる場面には少々辟易している。

直接求められている子どもであれば尚更であろうと思う。

 

三年間堪えられたらきっと強くなるだろうと思われるけれど、

堪えられるだろうか。

 

堪えて強くなるからいいとか、堪えられなくて弱いから悪いとかじゃない、

とにかく、自立できて世の中をなんとか渡っていければいいのだ。

それでいい、と思っている。

学校へ行きたくないと言い出した

子どもが高校に行きたくないと毎朝言っている。

部活、先輩が厳しすぎる、先生も理解してくれない、学校の体制もイヤ、

そんなことらしい。

 

毎朝つらそうにしているので

転入や編入も考えて調べたが、どうも、

 

今より偏差値が下の高校になるらしいこと、

新しい高校ではたして願い通りの楽しい生活が送れるかどうかなんて

わからないこと、

 

そんなことがわかった。

 

生きるか死ぬか、みたいな状態なら仕方ないが、

そこまでという感じもないように思える。

 

編入や転入をしたいなら自分で調べて

行きたい高校を選ぶようにと言ったが、

オンラインゲームばかりやっているので真剣ではないようだ。

 

これも、高校受験の際に

自分で高校を選ばせなかった私のせいかもしれない、

などと、反省した。

 

もしも、去年の今頃に戻れるなら、

子どもに自分で選ばせるだろう。

 

そして、滑り止めの高校は、

三年間ちゃんと通えそうなところを

選ばせるだろう。

 

部活を続けたいという子どもの言葉を信じて

厳しくやってくれるところを選んでしまった。

 

子どもはまさか滑り止め校に通うことになるとは

夢にも思わず、軽い気持ちで決定した。

 

どっちもどっちか。

 

転入、編入、するにしても

また同じように

「あの時やめなければよかったのに!」

 

などと言う事がないよう、今度は慎重に

対処した方がいいだろう。

 

まったく、子どもとは親の思うようには

ならないと肌で感じる今日この頃。