自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


ハートの聖なる空間を探索2

先ほど探索してきた。

そういえば、一番最初の探索の時に、ある顔が浮かんで、

名が、ミカエルというらしいと浮かんできた。

ちょっとコワいと思ったので、

「いや、今はちょっといいです」

と思ったら消えた。

 

その顔は高校の時の理科の先生に似ている西洋顔。

あるいは、昔ちょっとだけお付き合いした人の顔、

の系列で、それほど好みでない顔だった。

 

描いてみる。

f:id:dewdropsonthegrasss:20171122163548p:plain

描いてみたら、ダンナにも似ているかも^^;

 

ミカエルという天使がいるらしいことは知っていたが、

ウェブで調べてみた。

神様に近い大天使という。

 

今回はこのミカエルという天使か分からないけれど

この方と接触してみようと思った。

 

またユニティブレスから始めて

探索してみる。

 

今回ハートのグルグルが逆向きだった。

一度入ってみて、着いたのは大理石みたいなドーム型の部屋。

年輪みたいに横線が入っている。

 

実際の姿勢を崩すと、せっかく入った部屋が薄れてしまい、

ピントが合わなくなってちょっとまた時間がかかるので、

姿勢はできるだけ動かさないように工夫しなくては。

 

そこでいろいろ探索していると、

子どもが帰ってきたので、一旦中断。

 

子どもが外へ行ったので、

また探索してみた。

 

空間にピントがあわないときは、

「考えるな、感じろ」と思い出す。

そして、焦らないでじっとしている。

 

そうすると徐々に見えてくる。

また大理石のドームだった。

水系のものはないかと、見てみる。

 

すると穴からいきなり水が出ていた。

手品のように。

また手を差し入れてみた。

 

手にあたる感じがあるけれど、

温度は感じない。

 

ミカエルという方と会おうと思うと、

こんな人がいた。

f:id:dewdropsonthegrasss:20171122164610p:plain

「あなたは誰ですか?」

と頭の中で聞いた。

会話は頭の中でしていて、音声ではない。

 

クレオパトラです」

と言ってうつむいたら、

お面が外れた。

 

随分厚い白い粘土に上の絵、なんだか懐かしい、

自分が昔描いたような絵が黒いペンみたいなので

描いてある。

 

それががこっと外れた。

でも、中身は見えない。でもいるのがわかる。

千と千尋みたいな、顔なしみたいなというか、

マントは着てないけれど。

 

確かに存在していて、わかりづらいから

お面をかぶっていたようだ。

でも、それはミカエルという方らしかった。

 

「何と呼べば…ミカエル…ですか?ミカエル様ですか?」

と頭の中で、聞くと、

「一応大天使なんでね」

とおっしゃるので、

「ミカエル様」と呼ぶ事にした。

 

あああ、本当に、訳の分からない事をずらずら書いてしまっている。

でも、頭の中、いや、ハートで見たわけだから。

 

ミカエル様(エリカ様みたいだが)はきっとガイドしてくださるんだろうと

思ったので、

「聖なる空間の中の小さな聖なる空間というものを見せてくれませんか?」

と聞いた。

 

すると、あの、前回心臓が少し痛くなった階段か、長いホールか何かが見えた。

やっぱりあれだったんだ。と思った。

今回は躊躇せず、入ってみた。

 

階段になっていて、降りているのか、上っているのか、わからない。

そして、下が上になったり、上が下になったりして、不思議なのだが、

それが普通に感じていた。

 

「いったいどの位進めばいいのですか?」

と聞くと、

「自分が進もうとしているからずっと続く」とのこと。

進むのをやめてみた。

するとまた、あの子宮のようなところに入った。

 

小さな空間は波動が違うからわかると、

メルキゼデク氏はお書きになっていた。

その前知識があったからかもしれないが、確かに違った。

 

ゴゴゴーと小さく、飛行機が離陸する前に

猛スピードになる瞬間のような感じが

ずっと続いている。

 

前に体外離脱したかと思った時みたいな、

あれよりはちいさな音だったけれど。

ちょっとコワくなり、

しかも気分が悪くなったので、

「もう、今日はこれでいいです」と思った。

 

そして、あのクリスタル壁の部屋を見たいと願うと

そこへ行けた。

 

そして、ミカエル様に、

「私、こんなことをやっていて、何の意味があるんでしょう?」

と聞くと、

「あなた、人生に意味がないってわかったからここに来れたんじゃない?」

と言われた。

 

「ああ、そうだった」と思い、

壁を見ていると、

虹色の発光が壁を上に流れている。

 

見ていたら少し気分がよくなった。

この虹色はミカエル様がやっていたらしい。

私にもできるという。

 

イメージしてやってみた。

クリスタル壁は濁った虹色になった。

上手くいかない。

 

「コントロールしようとするからだ」

と言われる。

対象に合わせて、イメージするだけで、

あとはそれが勝手に流れるらしい。

 

何度もやってみたが、どうも上手くいかない。

対象に合わせて、コントロールせずに

スイッチを押す感じにしたら、少し上手くいった。

Googleホームに頼む時みたいな感じがした。

 

ミカエル様のように、透明感のある虹色にならないけれど、

なんとか、透明度は高くなってきたので、終わりにした。

 

今日はこんなところで戻ってきた。

いろんな体験ができて、今日は楽しかった。

しかし、書きながら、おかしなことを書いていると本当に思う。

ハートの聖なる空間を探索

こんにちは。

先日「ハートの聖なる空間へ」ドランヴァロ・メルキゼデク

を読んだ。

すっかり忘れていたのだが、

何故か図書館で予約してあったようで、順番が来たので借りた。

 

ハートには聖なる空間があり、そこへ行く事ができるとのこと。

詳細は本、またはウェブで^^

で、書いてある手順通りにやってみた。

CDは紛失してついておらず、内容を覚えてやってみる。

 

ユニティブレスという最初の瞑想では、

ちょっと感動してしまい、泣きそうになった。

 

私は愛とは感謝だと思っているので、聖なる父、母、

天と地に感謝を送った。

 

すると地球からは暖かいお湯のようなじわじわした感じが体を上ってきた。

天からは光のような、強く、優しい感じのものがさーっと体に降り注いだ。

気がした。上下から愛が自分に入ってきたようで、感動したのだった。

 

その後、ハートに入るが、

男性的、女性的両方の入り方がある。

最初、男性的ではダメで、女性的もやってみたら、

なんとなくしっくりきた。

 

でも、何日かやってみると、心臓当りへ降りると

ぐるぐるの渦巻きが見えるのでそこから入る。

 

初日、その空間とやらはどういう風に映るのか、全く分からず、

まぶたの裏にスクリーンみたいに映るのかと、

閉じた目をぎょろぎょろさせてみたが、ダメで、

ああ、どうしよう、と思っていたら、

「考えるな、感じろ」とブルース・リーなメッセージを

受けた気がした。

 

なるほど、と思っていたら、

何となくはっきりした夢のような映像が出てきた。

全部クリアではないけれど一部、目の前だけというか。

 

ちょっと以下はおかしな文になると思うが、

探索の記録として書いてみる。

 

ガラスかクリスタルかわからないけど、どうもクリスタルらしいけれど、

壁が全部それでできていた。

夜みたいで、たくさんの星が壁の向こうに見えた。

 

それはまぶたの裏に映っているという感じでもなく、

脳の中心の方で見ているような感じ。

目は使っていないようだった。

 

とりあえず、いいものが見られたと思い、初日はそれで終了。

透明なものが好きな理由はこれだったのか、と一人納得した。

 

翌日また行ってみた。

またそのクリスタル壁の部屋に行った。すると

今度はそのクリスタル壁が虹色に発光して色が上に流れている。

うわあ、きれいだな、と思って眺める。

 

その空間の中にまだ小さな空間があるらしいのだが、

それがどこかは分からなかった。

ただ、何か階段のようなチューブのようなものがあり、

それを前にすると心臓が少し痛むのだった。

 

ラッパみたいなものがあり、その中に入ると、

ちょっと違う部屋があった。

ぐるぐるが出てきて、何度か入ってみた。

 

今度は素朴な部屋があった。

それからはクリスタル壁の部屋が出てこない。

今日も素朴な、里芋を剥いてゆでたような色の壁。

ドーム型。

 

昨日里芋を食べたのでそれでかな、と思い、

なんだか美味しそうなので、壁をつかんで食べてみた。

ホクホクしていた。

 

いや、自分で書きながらおかしなことを書いていると思うけれど、

そうだったのだから仕方ない。

 

壁に窓というか、穴があったので、そこから出ようとしたら

さすが、里芋、ヌルヌルしていたので、

これ、里芋だからだよな、違う素材だったらいいんだよな、

と思ったら、ヌルヌルは消えて、するするの材質になっていた。

 

で、ウェブの情報では

聖なる空間には水に関するものがあるという。

今まで、そういったものがなかったので、

探してみた。

 

あった。

赤いライトの下に噴水状の小さな水が。

 

手を差し入れていたら、

「男になりたいか?」

と聞かれたような気がして、

思わず「嫌です、女がいい」と言っていた。

 

手を抜いてまたグルグルがあったので、入ってみたら、

今度は奥がなかった。

窮屈な袋みたいだった。

 

するとそれは蓮のつぼみだった。

その中に私は縮こまっていた。

蓮かと思いきや、それはまるで子宮の中のように

暖かく柔らかく、少し赤い感じがした。

ああ、落ち着くな〜としばらくそこにいた。

 

おかしな夢みたいだ。

でも、今、書いているのを読んだら、

これ、自分が生まれてくる前のことを見たのでは?

とちょっと思った。

 

う〜ん、いろいろと意味深な感じも。。

 

しばらく、ハートの聖なる空間を探索してみたい。

それでここに記録してみようと思っている。

意味がないからいい

何の為に生きているのかずっと考えて、意味なんかないのだとわかった。

でも、それは私にとって意味のあることだった。

 

なんでもかんでもよく考えると意味なんかないというところへたどりつく。

毎日の掃除だって、よく考えると意味がない。

 

汚れるから掃除する。誰かに何か言われるから掃除する。

自分が落ち着かないから掃除する。

 

じゃあ、汚れなかったら、誰かに何か言われなかったら、

自分が落ち着いていたら、掃除しないのか?

わからない。

 

ほんとは何で掃除するのか、

よく分からない。

意味はないけど掃除している。

 

何で生きているのか。

誰かのために。自分が何かをなしとげるために。

 

誰かのために生きても、自分が何をなしとげても、

結局はなにも持たずに死んでいく。

そこに意味はない。

 

意味はないけど生きている。

それが、私の出した結論。

 

それは、悲観でなく、いたって前向きで、

ヤル気が出てきた。

 

 

意味がどこかにあるのだと考えていた時は、

毎日の掃除が無駄だと感じて

集中できなかったし、

生きているのもどこか焦っていて

その為に結局ヤル気がおきず、

だらだら過ごしてきた。

 

意味なんかない。

だから目の前のことに一生懸命になれる。

 

そういう単純なことにいきついて、

身軽になったのだった。

いい歯医者さんてなんだ?

現実と自分との間にまた膜があるな、と思った。

離人症(ではないと思うけど)って、何かのストレスでなるとか、読んだ気がするけど、

ストレスらしいストレスは特にない。

 

あえていえば、歯が噛む時に時々痛い。

 

以前行っていた歯医者さんで治した歯だったが、

噛む時痛んだので、クリーニング時に歯科衛生士さんに言ったところ、

歯根膜が痛んでいるのでは、と1週間程かまずに様子をみるように言われた。

 

治したばかりの歯だと知ると、保険ではきっちりした詰め物は作れない、

だから自費での詰め物をしなくては、

とか、そんなびっくりするようなことを言う。

 

虫歯のチェックをして、虫歯の疑いがある歯があるのに、

特に治療の為に予約しましょうとか

ならない。

 

歯科衛生士さんはアイドル並のかわいさでいいのだが、

つっけんどんで、治療した歯とか、全然把握してない。

 

歯医者さんなのにヒアルロン酸の美容のなんたらとか始めたし、

どうもおかしいと思いはじめていたところだった。

 

ああ、ここももうダメだな、と思った。

 

で、1週間経っても治らない。

鮭の骨を噛んだら飛び上がる程痛かった。

しょうがなく、他の歯医者さんをさがすことにした。

 

通っていた歯医者さんへ行く道の途中で、

なんとなく気になっていたところがあった。

 

そこへ電話すると、痛いのは大丈夫かとか、

心配してくれた。

前のアイドル歯科衛生士さんはそんな言葉かけてくれなかったのに。

 

翌日すぐに診てもらえた。

患者さんが一人もいない。

歯医者さんが一人でやっているところだった。

 

噛むと痛いだけということで

とりあえず様子をみることになった。

レントゲンでは神経の横に丸い影があり、

それが虫歯ではないかとのことだったが、

そのままで症状がとまることもあるとのことで

噛み合わせを調節して終わった。

 

生体は急激な変化においつかないという言葉に

何か、感動してとりあえず様子をみている。

 

ということで今鮭の骨におびえながら食事をしている。

 

これでいいのか、神経まで虫歯が到達したら

もっと大変な処置が必要になってしまうのではないか、

と不安な気持ちがあるが、

前の歯医者で削りまくったので、なんだか、もう

削られるのはいいや、という気持ちがある。

 

どうして前の歯医者さんに通っていたんだろう、

とふと思った。

トイレもきれい、建物は余計な装飾がない、

患者もとぎれず来ている。

院内もきれいにして、器具の消毒もされているようだった。

いい歯医者さんとされる条件はほぼクリアしていた。

先生も丁寧に治療してくれた。

でも、1年後また虫歯ができた。

 

これはいい歯医者さんなのだろうか?

 

通っているときはいい歯医者さんだとしか思っていなかった。

ただ、治療の前に話を聞くという別室で

助手の女性二人で自費の詰め物をしつこくすすめるのが嫌だった。

すすめるままに20万円近くも支払って入れそうになったが、

よく考えるとローンを組んでまで入れるなんておそろしいので、

目立つ場所一本だけ入れることにした。

 

今度の歯医者さんは、

その一本のセラミックの高さが合わず、

噛み合わせが狂い痛みが出ていたのではとのこと。

見た目はいいがセラミックは自然にすり減らないから

あまりよくないと言っていた。

機械で削り、調整してもらった。

 

今考えれば、前はスタッフの多い歯医者さんだったので、

自費治療を多くやるほど、みんなにいいお給料がいくんだろうと思う。

だから、真剣に自費治療の詰め物をすすめたのかな、と。

 

まるで新しい恋人に夢中になってしまったように

いろんなことが良く見えていたようだ。

少し熱がさめて、冷静になってみると、あれ?と

疑わしく感じてくる。

 

今度の歯医者さんはおそらく、

良い歯医者さんのチェック項目に外れる項目がたくさんあるように思う。

ただ、それが良くないかどうかは

これもしばらく様子をみてみないとわからない。

 

いい歯医者さんは、結局自分が良ければそれでいいんであって、

他の人の考えるいい歯医者さんとは違うんじゃないだろうか。

死ぬときは

お見舞いに行った。

見舞った方はお元気になられていたのだけれど、

同じ部屋の入院している方はもう、ほとんど意識がないようだった。

ナースセンターというのか、その隣の部屋だったので、

おそらく緊急な場合でもすぐにかけつけられるよう

配慮してその部屋なのだろう、と思った。

 

その方が目に飛び込んできて、あっ、と思った。

人間はいつか死んでしまう、と思った。

 

みんなに迷惑をかけてお世話されたりしたくない、

と誰もが思うだろうけれど、

迷惑かけない訳にはいかないのだ、と思った。

どうしたって、迷惑かけてしまうのだろうと思う。

 

それはコントロールがきかない人間だからしょうがない。

人が死ぬということはきっと迷惑をかけることなのだろう。

でも、それは仕方がないことなのだ。

だからもし、そういう状況になったら、私は

あきらめて、お世話になるしかないと腹をくくった。

現実が上滑りしている

宙に浮かんだまま生きているのはそのまま。

現実で起こっていることが上滑りしている、

ゴーヤをスライスしている時に感じた。

 

何故毎日家事をするのか、

何故子供を育てるのか。。

そんなことは

 

何故生きているのか、というのと

同じ位考えても答えが出ない。

だからそういった類の事については考えない。

 

埃があるから掃除をして、

わが子に受験があるから勉強をやらせる。

 

毎日落ちてくる葉を掃除するお坊さんのように

きりがないからこそいいのだ、と言い聞かせて。

 

でも時々、そこに意味を見いだそうとしている

あきらめきれない自分がいるのも確かで。

そういう自分はおとなしくさせるようにしている。

 

上滑りの現実を感じている私を現実にいる人たちは

どう見ているんだろう。

ふと思ったけれど、まあ、考えてもどうしようもない。

 

目の前の事を行うだけ。

 

 

無重力の中に浮かんで、気分がフラット

最近、自分の状態がこれだ。

現実社会に生きているという実感はあるのに、

無重力の中に浮かんでいる感覚も同時にある。

 

そして、そのせいか、現実に対して気分がフラット状態。

つまり、抑揚がない。

昔は面白い事言って盛り上げたり、そういうのが好きだったのに。

喜怒哀楽、激しい方だったと思うのに。

フラット。

ただ、子どもがいるから怒るときはフラットとは言えなくなる時がある。

けど、もう次の瞬間、ふとフラットになる。

 

現実にあきらめている?

なんだろうか。

 

あきらめているという感覚でもなく、

やはり、無重力の中にただ浮かんでいる。

そこに意味はなく、本当にただ浮かんでいるのだ。

 

現実ではおそらくこうした方がいいに違いないという

あり方で、人と関わる。

芯のところではただわたしがいるのみで、

そこには本当に湧き出てくる感情とかそういうのが

わからなくなってしまっている。

というより、わたしすらない、のかも。

 

無重力に浮かびながら、何も感じず、

ただ毎日の現実が川のように私のまわりを流れて行く。

 

それが苦しいとか、辛いとか、

そういうのもなくて。

あ、あれだ、三無主義。

無関心、無感動、無気力だったかな。多分。

昔の若者が言われていた、それ。

 

だから、今の私には何の目標もなく、

ただ、浮かびながら流れを眺めるしかない。