自然に流れる

流れるままに記録して、それを遠くから眺めてみたいのです


意味がわからなくてよし

前回の正法眼蔵を読む」南 直哉 (著)をなんとかがんばって(^_^;)、

最後まで読んだ。

結局わからないままだったが、それでいいようなことが

終わりくらいに書かれていて、なんだあ〜じゃ、よかった。

と思ったのだった。

だいたいわかったりしたら相当な人ってことだよなあ。

よかった。よかった。

 

じゃなんのために読んだんだ?

ふと思ったが、まあ、いいや。読んだんだし。

ということにした。

 

けど、よかったことがある。

他の本で、正法眼蔵には洗面のことやなんかが

事細かく書かれている、ということが書いてあったが、

一体どの位細かく書かれているのかがわからなかった。

しかーし、この本にはそれが紹介されていて、

「おお!これが噂の!おお〜ホント細かい!」

と分かってよかった。

顔の洗い方や、

今のオーラルケアにも匹敵するようなケア。

おそらく当時にしては(今でもか)きれい好きの範疇を超えてたんじゃないか

というくらいの清潔の追求。すごい。

気になったのはお風呂に入ったりなんかして、

その後、香油をつけるとあるらしい。

その香油とは、どんな香りなのか、ということ。

道元さんはどんな香りがしていたのだろう。

同業(?)の方の臭い匂いがかなり嫌だったようだ。

今の時代だったらいろんなケア用品があるけれど

当時はたいへんだっただろうな、と思った。

 

ま、いいや。

 

でもなんとなく、私もお風呂上がりに香油をふりかけることにした。

 

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あ〜意味わかんない><;;

今、「正法眼蔵を読む」南 直哉 (著)を読んでいる。

正法眼蔵自体は、ちょいちょい、他の読んだ本に出てきていたので、

ああ、これか、というところもあるのだが、

全体的に意味わかんない。

迷路に迷ってそのままうたた寝パターン。

 

禅って、感じたところではそれぞれ取り方があるようだけど

まあ、何かは共通していて、それから外れないことをモットーにしているのか、

という気がしている。

飽くまで私の感じ方なので、違うかもしれないけど。

で、単純なようで単純でなく、かといって複雑でもないのだが、

ちょっと考えつくには修行が必要な感じ。

凡夫には理解できないんだろうか。

まあ寝ちゃうな。

 

今ようやく半分読んだけれども。

ちょっと意味がわからない。

厳しい修行が必要であろう。

 

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記憶をたよりに海を描いてみました。

台所をきれいにしたら

なるべくきれいにしようと思っているけれど、

ついついゆきとどかなかったりするので、

時々はちゃんときれいにするようにしている。

キッチンの天板の上もちゃんと拭いて、コンロもきれいに拭いた。

 

夏休み中の子供が、朝食を自分で作ると言い出した。

何か作りたくなったと言って。

そういえば、この前もきちんときれいにしたとき、

珍しく夫や子供がご飯を作ってくれたような。

 

もしかして。

 

きれいにすると夫や子供がご飯を作りたくなるのか?

うひひ。

どんなことも

幻だけれども、だからといって、

他の人を傷つけたり邪魔したりしていいわけじゃない。

他の人それぞれが自分のやりたいことをしにきているんだから。

できるだけ邪魔しないように自分のやりたいことをやる。

それが基本ルールなんじゃないか。

人それぞれがゲームをしていて、苦労ポイントをたくさんかせごうとしている。

苦労ポイントをたくさんかせぐために生まれてきたから。

それを邪魔してはいけないのかも。

悪いことでもおせっかいでも。

 

人と出会っても別れる。結局いつかは別れる。

楽しい時間は過ぎ去る。

辛い時間も過ぎ去る。

幻だよねえ。

 

この人とずっと一緒にいたい、と思ったとしても、

ずっとなんかいられない。

いつかは別れる。

この人とは一緒にいたくない、と思っても

何かそこに自分のかせぐ苦労ポイントがあるのなら

ゲットするまでは離れられない。

でも、ゲットしたらそれで終わり。

そして、また次のステージが訪れる。

 

そんな事を考えると、現実から離れそうになるけど、

実際前はそんな気分になったこともあったけど、

苦労ポイントをゲットするためにきたんじゃないかと

思ったら、腹がすわったというか。

よし!こい!みたいな。

 

空手であとから入った人が飛び級して

私をあっという間に抜かしていったのだが、

う〜ん、ちょっとジェラシー〜でも、まあね。

確かにうまいもんね。よし。私は私のペースで。

と昨日思ったのであった。

 

 

なんでもうまくはいかない

苦労するために生まれたんだから、

なんでもうまくはいかないようになっている。

ということがいちいちよく分かるようになってきた。

 

ピアノをよく弾く。習ったことないけど、少しずつ覚えて弾いている。

弾いているとうまく弾けないところがあり、

何度も何度も弾く。

でもやっぱりうまくいかなくて、また何度も弾く。

もうダメなのか、自分。と思うと、さらっと弾けたりして。

 

これも、苦労のひとつなんだろうな、と思う。

何でもうまくいく世界だとこうはいかないものね。

 

人付き合いも、そうで、

つき合うのが面倒で、なんかうまくいかなくて、

ああ、イヤだな、スムーズなつきあいができないな、と

思いながらも会ってみると意外と調子よくはこんだり。

 

そういう感じの繰り返し。

めんどくさ!

 

でも、しょうがないんだよね。

それしたくてきてるんだし。

バシャールの言葉を話すダリルアンカさんの動画をさっき見たら、

自分で決めて生まれてきているのだから、

何か自分に起こることを回避しようとすると、

もっとその存在の意味を知らせるかのように

同じことが起きるというようなお話だった。

逃げれば逃げる程それは強くなるわけで、

初めから受け入れれば穏やかにすむんだし、ということらしい。

 

逃げちゃだめ。

ていうか、それしたくて自分生まれているっていう前提だったら

逃げないよね。むしろ、キタキタ!って喜びか。

それにふと思ったのは

ひどい事でもなんでも、起こっていることは実態がなく、幻でしかない。

幻なんだから、どうってことないわけ。

その幻で自分が傷ついたり、悩んだり、するのもなんか、ちょっとね。

完全に1人SMみたいなことになってしまう。

だから、あれこれ勘ぐったり、否定したりしないで

そのまま、

「ああ、これマボロシ〜」

とすんなり受けるのがいいんじゃないかと思う。

 

今、夏休み中の息子に鬼教師となり、勉強を教えている。

嫌がる息子。ヤル気ない態度。

こ、これもただのマボロシなのよ。マボロシ

と念じながら対応している。

 

 

 

 

アトラクション

先日、子供の部屋を掃除していて、

ふと「伊豆の踊り子」の本が目にとまり、そのまま最後まで読んでしまった。

ああ、なつかしい。

どうしても気になる真っ裸で手をふる場面。

いやあ、14歳だったのかあ。

そのお年頃は女風呂でも隠したかった気がするけどな。

20歳のよそのおにいさんにそれするか?と思ったけど、まあ、実際どうあれ

あっけらかんとした幼さを描いているんだろうから、いいか。

で、そういうツッコミを書きたかったんじゃなく、

けっきょく、このおにいさん、一緒にいる間はドキドキするだけで

踊り子たちと別れて船上でひとり涙を流すのだが、

これがせつない。おにいさんのせつない気持ちが伝わり、

泣きそうになった。いいねえ、文学。

で、私は思った。

ああ、お互い独身でも結ばれず、せつない気持ちになることもあるんだわね。と。

 

先に書いたママ友はお互い結婚しているから、せつない事になっていると思ったが、

お互いフリーであってもせつない恋はあったんだわね、

ということを思い出した。

なんだか今ぬるま湯すぎて忘れていた。

ということに自分で驚いた。

 

母船があるから自由に動きまわれるというか。

いつでも帰れるところがあるので

どこか、必死さがなく。

というような。

ダンナに感謝する。

一方で、いつでも別れる事ができる気がする。

お互いにそれがいいなら。

多分あんまり執着がないのでは。

そうなるんであればそうなってもいいや、っていうか。

いや、いざとなったら焦るかな。

わからないけどね。

もし別れたら、もうなんか、誰とも結婚したくない。

と思う。もういいや、っていうか。

いや、実際なってみないとわからないけどね。

 

ああ、そうだ。

最近気づいたことがある。

 

この人生は自分が作っているんじゃないか、

よく言われているようなことじゃなくて、

え〜と、自分が作り出した本というか、劇というか、

そういう創作物なんじゃないか、ってこと。

別次元で自分が作っている創作物中の人生。

この世界で会う人たちはそれぞれが大きな世界で創作した世界の人物で、

複雑にからみあっているというような気がする。

それぞれの登場人物を同時にいろんな世界にまぜている。。

うまく説明できないけれども。

この次元では説明つかないようなことが盛り込まれているのでは。

 

なんでも苦労せずできてしまう次元で、自分が体験したいことを

創作して楽しんでいるんでは、と思う。

ああ、苦労してみたいわ〜とか、うまくいかなくてへこんでみたいわ〜とか。

できないからこそそれを体験してみたいということか。

 

なんでもはうまくいかず、苦労し、たいへんな人生を体験する、なんていうか、

アトラクションをつくっちゃってるのかも。どこかの自分が。

とすると人生がバーチャルっていうのも理解できるし。

と、いう気が最近するのである。

せつなさを体験したい?

ママ友とランチした。

ある飲み屋さんに気になる人がいて、

その人もこちらを気に入っているんだそうな。

でも、お互い家族がいるので、

そこはブレーキをかけていると。

でも、もし何かチャンスがあったら

自分がどうなるか分からないらしい。

 

まあ、これも私に言わせれば、

この世はね、苦労しにきているんだからね。

これは、思うようにならないという、

お互い、切なさを体験したかったんじゃないの?

てなことになる。

ま、そんな事は言っても興ざめするから言わないけどね。

 

お互い好意があるのに

それぞれの家族を考えて、

ひたすら耐えるという、そういう体験。

いやあ、切ないな〜。

恋愛ものの映画なんかで、

なんでもスムーズにいくより、

切ないストーリーだと見応えあるしね。

そういう感じなのではないだろうか。

 

もうこうなったら、

切なさを満喫して、時々、

派手に妄想するしかないのかしらね。

 

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ブッダ2。少し改良。

完全に妄想で描いています。